この世界を知るほど、別れはつらい――それでも、不確かな未来に歩み出す
【ゼノブレイド3】②体験・感想

この記事では、下記タイトルの体験・感想を書いています!
- ゼノブレイド3(Switch:2022年)
過去作を受け継ぎ、融合させた世界での冒険は、私にとって忘れられない場面にあふれていました。かなり長文ですが、ぜひ最後までよろしくお願いします!
- ゼノブレイド(Wii:2010年)
- ゼノブレイド2(Switch:2017年)
- ゼノブレイド2 黄金の国イーラ(Switch:2018年)
- ゼノブレイドDE(Switch:2020年)
- ゼノブレイド3(Switch:2022年)
- ゼノブレイド3 新たなる未来(Switch:2023年)
- ゼノブレイドクロスDE(Switch:2025年)
プレイ開始時の心境
まず、私が本作をプレイ開始した当初の気持ちを記したい――実は、少し悲しい気持ちだった。もちろん、シリーズファンとして3作目を体験できることに心から歓喜していた。
その一方で、本作は明らかに過去作の未来に位置する物語だったからこそ、1作目――シュルクたちが神を屠って世界を変え、そして2作目――レックスたちが神を守り世界を維持したその先で、戦争が続くデストピアが待ち受けていたことに少なからずショックを受けていたのだ。
複雑な試みの理由
しかしプレイを進めていくうち、制作陣が緻密にデザインしたこの世界に引き込まれ、その行く末を、仮に救いがなくとも直視したい気持ちに駆られた。
主人公たちの住むアイオニオンに生きる普通の人間は、私たちプレイヤーから見て明らかに歪められている。
そんな彼らの目を通して(プレイヤーと同じ)人本来の姿を知見させる複雑な試みを、なぜ制作陣はゲームの中で行ったのか?――その答えは、きっと日常の素晴らしさを伝えるためなのだろう。
人本来の姿と日常
メインストーリー中盤、人本来の姿がノア達に示される。走り回る子供たち、会話しながら歩く老夫婦、子供を抱き上げる家族、そして、ベンチに座るカップル――現実でも外を歩けば同じような光景が見られる。
しかし、本作において初めて目にする老若男女が街に行き交う姿は、ただそれだけで尊かった。そして純粋に、この日常を守りたいと私は感じたのだった。
ゼノブレイドシリーズの美点
ところで、私の思う本シリーズの美点は、NPC含めて多様な価値観を持った人物が配置されていて、とてもフェアだと感じられる点だ。
本作では、生まれたばかりの赤ちゃんと主人公たちが触れ合うシーンがメインストーリーに組み込まれており、人本来の姿とモニカが教えてくれる。
見方によっては、子供を持つのが人本来の姿、という価値観を押し付けているようにも見えるが、クエスト「鹵獲が繋ぐもの」で登場するカキツバタのように、シティーには子供を持たない選択をした女性も存在する。
必ずしも全てのプレイヤーがこの事実をゲーム内で知るわけではないだろうが、こういった細かなデザインに私は好感を持っている。
忘れえぬクエスト
もうひとつ私の心に強く残っているクエストが、ランツのサイドストーリーだ。このクエストを一言で表すと……地味だ!
敵側の登場人物は、メインストーリー序盤の回想シーンに登場するだけのゲッセル御一行と、本作屈指の無能執政官H――索敵を怠ったり、ウロボロスの強さを過小評価したりする醜態ぶりだ。
次は何が起こるのかハラハラする展開でもないし、何か新たに判明する事実も特に無いので、プレイしなくても正直問題ない。
ただはっきりと言い表せないが、どこか心地よい余韻を残すクエストなのだ。キャラクターの内面にフォーカスしたクエストになっていて、それを語るうえで重要なのがシティーで大道芸を行う青年の存在だ。
受動から能動へ
このクエストは、成り行きでウロボロスとなり、皆から賞賛や憧れを受ける立場となったランツが、周囲にバカにされることもあるが能動的に大道芸を仕事に選んだ青年と出会うことで、受動的に得た役割に違和感を持ち、与えられる(受動)側から選ぶ(能動)側に、そして、(仕事・役割だけでなく)選べることを増やしていきたいと考えるようになった――というのが私の解釈である。
クエスト途中で、憧れを持って接してきたシティー兵士にいら立ちをぶつけてしまったことも、ゲッセルらに情報だけ与えて行動を促すに留めたことも、自分で選ぶことの価値を知るステップとして筋が通っていた。
最後、シティーに帰還してファストフードっぽいバスティールを食べながら、ふと、かの青年が広場で大道芸を行う姿を見かけ――これも尊い日常のひとつと言えるだろう――意味深な言葉を発するランツの姿を、私は忘れられずにいる。
メビウスに魅力はあるのか
だいぶランツを贔屓してしまったが、他の主人公たちや彼らを支えるヒーロー、皆それぞれがいい味を出していて非常に魅力的だった。
一方で、逆の意味で魅力的な敵勢力、メビウスについても触れないわけにはいかないだろう。メビウスは、コロニーを支配する26人の執政官なのだが、彼らのほとんどは醜悪で没個性的、そして、何だか退屈そうに見えた(DLCにおいてカギロイが、執政官は一般にキラキラしている旨の発言をしていたので見方にもよるだろう)。
ITも含めてZの楽しみ
ラスボスのZは、人々の恐れ――変化への恐怖――が生んだ思念体とのことで、世界の理を掌握し、全てを見ている。
仕組まれたような世界設定は、ほぼすべてZが決めたことだった。Zと同時に生まれたXとY以外のメビウスは、死んだ兵士を再生する形でZが作り出した。
誰をメビウスにするのか?――Zが見ていて面白くなるような兵士である。つまり、生きている兵士と何らかの因縁を持つ者だ。
本作のストーリーではクリス(C)、ヨラン(J)、シャナイア(S)が、主人公たちの人生に大きく関わったのでメビウスにされた。
おそらく、他も同様の理由でメビウスにされていて、彼らが因縁を晴らす姿を見てZは楽しんでいたのだろう。
ただその後、彼らはどうなったのだろう?――野心や生き様を持っている者もいたが、ほとんどは過度に捻じ曲がっていたり、思考停止的に同じことを繰り返したり、何か面白そうなことに乗っかってみたり、死なないために生きているだけに見えた。
例外は、もちろん、トライデン(T)だ。彼は退屈な生き方を放棄して、兵士と対等に生きる道を進んだ。イチカ(I)もまた、仲間を守ることと自分の生存の狭間で捻くれてしまってはいるが、他とは違う道を模索していた。
元が人であれば、人と対等であることが生きる意味を見いだす要件なのかもしれない。ただ彼らのことも、Zは見ていて面白かったのだろう。
雑にまとめてしまえば、メビウスは、ほぼZの楽しみのためだけの存在で、彼らが一致団結して主人公たちに対峙しているわけでなく、バラバラ――先に挙げた無能執政官Hのように、情報共有もしていない。
ただ、死にたくないから策は弄する。過去作との比較で言えば、メビウスは総じてザンザに似ていて、逆に、エギルやシンといった種族の存亡をかけて戦っていた悪役とは対照的だ。
そして、ザンザはクラウスという一個人の意思(の半分)から生まれたが、Zは多くの人間の意思が生み出した存在だ。
このように感情移入しにくい敵勢力を物語に置くことは一見不思議なのだが、エンディングで自分にもメビウスに近いものがあることを思い知らされる。
本作は、全ての理を握るZを倒すことで、終演を迎える。
そしてエンディングへ
最後にやはり、エンディングについて語りたい。6人のウロボロスは、ケヴェス側とアグヌス側、それぞれのルーツとなる世界へと戻っていき離れ離れになってしまう。
シリーズをとおして見ても、旅の仲間が離別するエンディングはこれまで無かった!フィオルンがホムスに戻れた驚き、ホムラとヒカリが2人で復活した驚き――これらとは違った驚きが私を襲い、初見では状況をうまく飲み込むことができなかったが、何度も咀嚼することで制作陣の強い想いを感じることができた。
世界は変わる
本作はサブクエストを進めるほど、NPC間の絆も深まっていき、ケヴェス―アグヌス間での関係性も構築されていく。
エンディングにおける元の2つの世界への回帰は、築かれた絆の消滅を意味している。さらに、シティーの人々はこの世界で新たに生まれた命だから、存在自体が消滅するものと示唆される――私が守りたいと思った日常も消えてしまうのだ!
だからこそ、ノアは一旦迷いを見せる。それでも、メビウスによって歪められた世界に留まるより、人本来の姿で生きうる元の世界へと進み、不確かながら、その先で2つの世界が交わり、シティーに存在した人々が生を受ける未来を信じて選択したのだろう。
この選択により、しばらくして彼らに別れの時が訪れる――プレイヤーの目の前で世界が2つに分かれる様子が、視覚的に描かれる。
元々重なっていたかのような2つの大地が徐々に離れていき、それにつられて旅の仲間たちがケヴェス側とアグヌス側に引き離されていく――彼らは走って駆け寄ろうとするのだが、最後は崖に辿り着きどうにもできなくなる――まさにこの瞬間が、「永遠の今」を希求するメビウスに共感する瞬間だろう。
崖際で一同が手を振るなか、論理派のタイオンは膝から(崖ではない)崩れ落ちてしまう。それもそのはず、元の2つの世界が再生されたとして、その後1つの世界へと行きつく可能性についてストーリーのなかで全く言及されていないのだ。
現時点で技術的に可能だ、と考えている人は、ゲームの中にも外にもいないのではないだろうか。その一方で、別れのシーンの一部始終をとおして、プレイヤーの耳には軽やかな挿入歌が響く――キャラクター達は悲壮な思いで走っているのだろうが、この爽やかな、汗がきらめく青春のような楽曲が、悲しいはずの別れを、どこか希望に満ちて、まだ道は続いている、そんな空気を醸し出し、彼らなら大丈夫、世界は変わり続けて進んでいく、そんな気持ちにさせてくれた。
間違いなく、シリーズ随一のエンディングだと言える。そして彼らだけでなく、私たちも大丈夫、私たちの世界も変わり続けて進んでいくのだ。


