神の視点にいながら、意志の弱さ、覚悟の足りなさ、正義の脆さを突き付けられる
【ファイアーエムブレム 風花雪月】②体験・感想

この記事では、下記タイトルの体験・感想を書いています!
- ファイアーエムブレム 風花雪月(Switch:2019年)
語り切れないほど内容が濃い本作を、一周目の体験と最重要シーンを軸に何とかまとめてみました。かなり長文ですが、ぜひ最後までよろしくお願いします!
- ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡(ゲームキューブ:2005年)
- ファイアーエムブレム 暁の女神(Wii:2007年)
- ファイアーエムブレム 風花雪月(Switch:2019年)
選択の先に待っていたもの
いきなりエンディングの話で恐縮だが、私が最初に迎えた結末の感想をお伝えしたい――いや、もはや感想と言えるものではなく、呆然、私はただ呆然とスタッフロールを眺めていた。
なぜこんなことになったのか――天刻の拍動を発動して、少し時間を巻き戻したい。初回プレイでエーデルガルトに付き従った私は、紅花の章、いわゆる帝国ルートに突入していた――それが地獄の始まりだった。
気づけず引き返せず
たしかに、白雲の章の後半から驚きと緊張の連続だった。ジェラルトの死は予想していた、しかし、エーデルガルトが炎帝!?――明らかに怪しかったモニカとベタベタだったのに、炎帝とエーデルガルトの前でちぐはぐな返答をしたら反応が微妙だったのに、支援会話で炎の紋章を見せてくれていたのに――私は全く気づかなかった。
その後は、エーデルガルトかレアかどちらにつくか迫られ、ジェラルトのレアに対する距離感を信じてエーデルガルトについた。
そしたら、すぐにガルグ=マクに攻め込む手筈が進み、エーデルガルトの演説で引き返せないところまで来たことを悟り、心の準備が整わない緊張のなか、ガルグ=マクに進軍してこれを陥落させた――そして第二部が始まった。
不穏な始まり
ミルディン大橋の戦いで、増援に現れたレオニーのステータスに脅威を感じた私は、早々に彼女を退却させようと思った。
ベルナデッタの囲いの矢を主軸に少しずつ体力を削っていき、削り切れる段階で勇者の弓を射た――1本目の矢が命中し、続く2本目の矢が山なりに飛んでいき……
ん?画面が止まった?――そう思った瞬間に響いたレオニーの断末魔――状況が落ち着くなり、私は天刻の拍動を発動した、これではいけないと思った、戦争なのに、卒業生の死は受け入れ難かった……
長年ゲームをしてきたが、敵のために有限スキルを発動したゲームなんてあっただろうか。その後は、何とかレスター諸侯同盟の卒業生たちを誰も手にかけずに済んだ。
きっとこの先も大丈夫だろうと思っていた――しかし、このゲームは本気で私の心を砕きにきたのだった。
誰のためのスキルなのか
ファーガス神聖王国への侵略は、さらに苛烈だった。アリアンロッド攻城戦のブリーフィングで私は戦慄した――すべての敵将の撃破――敵将には少し髪型がおしゃれになったフェリクスがいた。
気を取り直して、フェリクスにどことなく蒼炎の軌跡のシノンの面影を見た私は、主人公のベレトスなら上手くやってくれるような気がした――それに、何といっても先生なのだから。
しかしあっけなく断末魔は響いた。であれば幼馴染なら彼を救えるだろうと、すぐさま天刻の拍動を使って、次はイングリットを、さらに次はシルヴァンを差し向けた――この二人は生徒の時にスカウトしていたのだが、特に、イングリットは純粋にタイプだったので、熱烈にスカウトして成功した時は嬉しかった。
王国の知り合いがクラスにいないのも寂しいのではと思い、フットワークの軽そうなシルヴァンもスカウトした――あの頃が一番楽しかった。
そして今、幼馴染同士が戦うことになってしまったが、それでもフェリクスを救いたい一心で天刻の拍動を連発した――しかし、だめだった。
万策尽きた私は、一周回って自分の分身とも言えるベレトスでけじめをつけることにした。思えば、ベレトスと同じ剣術主体のフェリクスは生徒時代に容易にスカウトできたはずだった。
しかし私は、別学級の方がライバルとして成長して面白い話に繋がるのではないかと思ったのだ――その結果、彼は死ぬことになってしまった。
呆然のスタッフロールへ
悲劇は続いた。タルティーン平原で対峙したディミトリは、ブリーフィング時点で発する殺意が凄まじく、私は震えていた。
戦闘開始後は、次々に起こる救いのない展開――メルセデスの増援、ドゥドゥーの魔獣化――になんだか意気消沈してしまった。
彼らをひとりずつ手にかけるうちに、どうしてこんなことに……という気持ちが渦巻き、エーデルガルトの正義に疑いを持ち始めた――だが引き返せない。
やり場が無くなっていった私は、気づけば全てをレアに責任転嫁することで自分を納得させようとしていた。
レアを倒せばよい未来へと進むはず、そんな思いからタルティーンから撤退したレアに怒りを覚え、フェルディアではわき目もふらず撃破した――アネットとアッシュをなんとか屠らずに済んだことだけが救いだった。
そして掴んだ帝国によるフォドラ統一が果たして良い世界なのか、私には正直わからなかった。これが冒頭、スタッフロールで呆然としてしまった理由だ――私の選択は、あまりに弱い意志によるものだった。
それぞれの結末
紅花の章をクリアしてからは、しばらく本作をプレイする気になれなかったのだが、それでもやはりフォドラの物語を体感せずにはいられなかった。
生徒たちの死に直面したくない私は、可能な限りスカウトしてプレイすることにした。二週目でプレイした蒼月の章では、シリーズの王道のような展開――前半の苦難に満ちた劣勢下の行軍と、後半、一致団結しての攻勢――に熱くなった。
不思議とエーデルガルトと敵対することは心苦しくなかった。また翠風の章では、エーデルガルトを屠ったのち、唐突にファンタジー感が増して、最終決戦ではまさかの古の十傑とネメシスが攻めてくる展開にまたも熱くなった。
最後にプレイした銀雪の章では、これまでのほとぼりを冷ますような、それでいて何も残らない――フォドラを担うべき人々が皆退場していく――虚無感のような最後を迎えて、私はフォドラに起きた戦争の種々の結末を、文字どおり神の視点から体験したのだった。
そしてこの頃には、一周目のように目の前の事態に翻弄されることなく、少し冷静にフォドラの大地で起きた出来事を咀嚼できるようになっていた。
すれ違い交わらぬ言葉
蒼月の章の帝都決戦前、ディミトリとエーデルガルトとの間で会話が交わされるが、ここが本作のハイライトであると私は考えている。
正直言ってかみ合わない会話が淡々と進んでいき、内容が頭に残りづらいのだが――権力者同士の会話は実際にこんな感じなのだろうか!?――その理由は、両者で「持つ者 ≒ 強い者」、「持たざる者 ≒ 弱い者」の定義が異なるからである。
もちろん、ここでは紋章の有無について話しているのではない。両者はそれぞれ相手のことを「持つ者」とみなしているが、各視点での「持つ者」の意味をとおして彼らの正義について考えてみたい。
信じるものがあるか
私は直感で、ディミトリは「持つ者」、エーデルガルトは「持たざる者」だと思った――つまり、エーデルガルトの視点である。
そして、ヒューベルト、ベレトスも「持たざる者」だ。だから、紅花の章では闇に蠢く者との共闘関係が三者で共有された。
一方、闇に蠢く者の秘密兵器による攻撃を、級友には教団によるものと偽るなど、エーデルガルトと級友との間には少し距離感がある。
それは、彼らが「持つ者」だからだ。級友には親族がおり、エーデルガルトが級友との距離感を誤れば、闇に蠢く者に弱みを握られ利用される可能性がある。
つまりエーデルガルトの視点では、信じるものの有無――例えば、仲間や血縁者との決して切れない繋がりのようなものや、信仰も含む――が、「持つ者」であるかどうかの分かれ目だ。
その意味で、ヒューベルトはベストラ侯を粛清し、ベレトスはジェラルトを失い、それぞれ肉親がいなくなったことで真に「持たざる者」になったのだろう。
エーデルガルトは最終決戦で対峙したレアに対し、信じる道などなかった、と断言する。信じるものだけが救われる世界ではなく、「持たざる者」でも救われる世界にするというのが、彼女の正義の根幹かもしれない。
それでも彼は「持つ者」
ディミトリも肉親を失っている。継母にも見捨てられた。しかし、彼が「持つ者」であることは自明だろう。
差別を受ける民、痩せた土地や寒冷地の貴族、家の事情で他国から流れ着いた者、大切な人との死別や、脆い親族関係、元貧民街の孤児――青獅子の学級の生徒たちは、みな辛い過去や舵取りの難しい現状を抱えていた。
君主である王に期待することも少なからずあったはずだ。ただ彼らを導くはずのディミトリは、彼らに目もくれず復讐にとりつかれていた。
そんななかでも、彼を決して見捨てない級友の存在こそが、ディミトリが「持つ者」である所以だ。
重い絆と最後の運
ディミトリが正気を取り戻すには、もうひとり、ベレトスが彼につく必要があり、青獅子の学級を選択しなかったときの彼は不本意な最期を迎える。
紅花の章では、級友までもが悲惨な運命を辿ることになる。彼らがディミトリを見限らないゆえに犠牲になっていく姿は、とてもつらく悲しいゲーム体験だ。
これほどの級友間の繋がりを他の学級で感じられただろうか。物語をとおして生徒たちが放つ魅力で言えば、青獅子に勝る学級は無かった。
そして、プレイヤーの選択で運命に最も落差があるのがこの学級だろう。実際、蒼月の章においてディミトリ軍はかなりの幸運に恵まれる。
なにせ、闇に蠢く者の首魁を認識なしに道中で討ち取ってしまうのだから!
力があるか
級友に恵まれたディミトリから見ると、エーデルガルトには自己完結的な意志があるように見える。大まかに言えば(筋肉的な意味ではない)力の有無が彼にとっての「持つ者」「持たざる者」の定義だろう。
思えば、私にとってエーデルガルトは敵に回しても心苦しくない存在だった。彼女と敵対すれば必ず手にかけることになるのだが、何だか清々しくもある――青獅子の卒業生たちとの戦いで感じたものとはあまりに違う。
それは権力という意味で、彼女が「持つ者」だからなのかもしれない。皇帝という権力者として、戦争という形で世界に自らの理想を問い、それが否定されれば、全力で力を示し、より強大な力の前に散る。
それは権力者として理想的な姿のように見える。同時に、それに巻き込まれる(権力を)「持たざる者」が、士官学校の卒業生だろうがモブだろうが、まさに戦場の露でしかない事実に哀しみや怒りを感じずにはいられない――ディミトリが蒼月の章で示した正義はここにあるのだろう。
続く問いと人生
「持つ者」「持たざる者」の定義の相違は、彼らの置かれた環境の違いによるものだ。ここまで全くクロードに触れてこなかったが、彼と共に辿り着く結末は、フォドラに新たな息吹をもたらしうる新鮮な空気に満ちていた。
彼は「持つ者」「持たざる者」の縛りから外れた存在かもしれない。しかし、全ての結末に共通するのが、「フレスベルグの少女」が最後に流れる点だ。
実は、エーデルガルトの野望は大なり小なり実現される――どのルートでも、レアは支配の中枢から退くことになる。
どの結末を迎えたにしても、良い時代が続くかはわからない――ただ生き残った人々の人生は続いていく。
彼女が「フォドラ」に問いかけた正義は、ゲームを終えてかなりの年月が経った今でもなお、私に答えの出ない問いを突き付けている。


