神の視点にいながら、意志の弱さ、覚悟の足りなさ、正義の脆さを突き付けられる
【ファイアーエムブレム 風花雪月】③主題

この記事では、下記タイトルの主題を書いています!
- ファイアーエムブレム 風花雪月(Switch:2019年)
シミュレーションゲームならではの視点で、客観的に本作を読み解いていったら……それが困難であるという教訓になりました。ぜひ最後までよろしくお願いします!
- ファイアーエムブレム 蒼炎の軌跡(ゲームキューブ:2005年)
- ファイアーエムブレム 暁の女神(Wii:2007年)
- ファイアーエムブレム 風花雪月(Switch:2019年)
答えを持たざる戦争
ファイアーエムブレムシリーズは、英雄譚として敵味方がはっきりした物語が語られることが多い。そのなかで本作は、戦争という堅いテーマに厳格に向き合い、大団円を廃し、自らの選択の結果に向き合わざるをえない体験をもたらしてくれた。
第一部でのプレイヤーの行動次第では、ある程度他学級の生徒を引き入れ、命を救うこともできるのだが、どう頑張っても生徒たち全員が生存してエンディングを迎える道は無かった。
戦場は見えても正義は見えない
本作に限らず、シミュレーションゲームにおけるプレイヤーは、戦場を俯瞰し、敵味方の位置や行動範囲を正確に把握できる神のような存在だ。
しかし、神の視点にいながら、フォドラの歴史や各勢力の思惑を正確に知ることはできなかった。それは、ゲーム内に散りばめられた情報――会話、歴史、イベント――が緻密にデザインされているからだ。
制作陣の意図として、特定の人の正義が正当化されるような物語にはしなかったのだろう。自分の選択が正しかったか(あるいは、自分が選択した級長の正義は正しいと言えるか)について、判断の確証をゲーム中から得ることは、おそらく誰にもできないだろう。
結局、自分や級長の正義は、自分や彼らの信じた範疇にしかないことを思い知らされる。確証がない選択に向き合わなければいけないゲーム、それを実現しうる制作陣の熱意と技量に圧倒された。
私の着眼
それでもなお、4つのルートをクリアしたうえで、(一周目では自分の選択を疑ったものだが)私が最も支持するのはエーデルガルトだということを最後にお伝えしたい。
本作のハイライトと評したディミトリとエーデルガルトの会話で、私がもうひとつ注目しているのが、エーデルガルトが語った、戦争の犠牲者と、今の世に生まれる犠牲者を天秤にかけて、犠牲が少ない前者の道を選んだ、という言い分だ。
この話に説得力があるかどうかが、彼女を信じられるかどうかの分岐点になる。
秤はどちらに振れるか
そして私が神の視点から知りえた事実は、帝国ルートが最も早く戦争が終結するということだ(エーデルガルトかレアの敗北が決まるのは、紅花:4月、蒼月:8月、翠風:6月、銀雪:6月)。
第二部の戦争編でプレイヤーが関与するのは、遊撃隊などの少数精鋭部隊であり、級長らの話を聞く限り、帝国と王国の本隊がぶつかる、より大きな戦場は別にあるようだ。
すなわち、プレイヤーが関与する戦闘以上に、その戦場では日々多くの死者が出ているはずだ。帝国の勝利するルートが、最も戦死者の少ない世界へと至るのであれば、エーデルガルトの目指す世界がそれだけ実現されるべき説得力のあるものなのだろう。
しかし、そもそも戦争を仕掛けなければ戦死者もいないのでは、とも思う。ただ、戦争を最も早く終結せしめる非凡な彼女だからこそ、前述の天秤の話も説得力があると私は考えた、というか、信じることにした。
やはり、自分が信じるものを信じるしかないのだ。
それでも世界は続く
私たちの生きる世界において、知見可能な客観的事実などほとんどないのかもしれない。そしてこのゲームのように、神の視点に立ってもそれは同じなのだ。
それならば、私は物事を主観的にとらえ、脆くとも信じるものは何か問い続けてみたい。人の世であれ女神の世であれ、個々の人生は続いていくのだから。
神の視点にいながら、意志の弱さ、覚悟の足りなさ、正義の脆さを突き付けられる
――ファイアーエムブレム 風花雪月


